ブロック解除をする人は、いつもブロック解除をしていて、設定変更をする人は、いつも設定変更をしている印象です。
ブロック解除や設定変更でシアワセになっているなら、それは何よりです。
誰でもシアワセを感じて生きていたいと思うので、そのための方法に出会えたならそれ以上のことはないですよね。(手法には共感できませんが・・・)
でも中には、あえて不幸を引っ張り出している感じがすることもあります。
創り出された不幸
思い込みや勘違いって、あると思います。
それを「心のブロックだー!」「設定だー!」と言うことで、あえてマイナスな状況をつくりだしているように見えるのは、私だけでしょうか?
それが”ブロック”ならブロック解除が必要になり、それが”設定”なら設定変更が必要になる。
本当はそこまでの話じゃなかったのに・・・
勝ち負けのない世界
勝ち負けのない世界があってもいいと思いますが、資本主義の日本にいる以上、勝ち負けのない世界に生きつづけることができるのか、疑問です。
とはいえ、子宮系の人たちが勝ち負けのない経済圏を築いていって、その中だけで生きていければ実現するのかもしれません。
勝ち負けのない世界をパッと想像してみると、平和で豊かさに溢れて、みんな争うことなくニコニコ、みたいなイメージ。
ギスギスすることもなく、他人を蹴落とす人もいない、という感じでしょうか。
それは素晴らしい世界かもしれません。
無駄に他人を傷つける必要はないですし、体調を崩すほど争うこともないと思いますが、人間は足りないから欲しいと思ってそれがモチベーションになるようです。
なんでもかんでも満たされている設定だと、モチベーションは生まれるのかな?と思ってしまいます。
ちなみに、モチベーションは動機付けで、やる気ではありません。(混同されやすいですが・・・)
動機付けは、「足りない」「欠けている」から生まれるという考えは納得します。
全ては満たされている~という中では、行動の動機って、どうなるのでしょう??
不幸ごっこを楽しんでる?
ブロック解除も設定変更も、1つ2つの解除でバラ色ハッピーになるわけではなく、何十回も何百回も必要ですよね。
「あ、これもブロックだ」
「あれもブロックだ」
「あ、これは設定だった」
「あれも設定だった」
問題は、ブロック解除ビジネスをしている人が、ブロック解除をすれば全ての問題は解決!と見せていることと、お金を払う側の人が、そう思ってしまっていることです。
設定変更も同じく。
無数にある思い込みに名前をつけていって、不幸ごっこをするのは、それこそシアワセの遠回りのような気がしてしまいますね。